かすかべ時遊帳

かすかびあんの時遊で気ままなブログです。

最勝院の桜と旅する?板碑「青石塔婆」

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新しい元号が発表されました。「令和」でした。新鮮な響きでよかったですね。そしてなんと言っても「万葉集」から選ばれたことが一番嬉しいですね。

春本番‼️  ここのところ肌寒い日が続いていますが、かすかべもようやく桜の季節になりました。東京では、早々と、満開と報じられていましたが、当地かすかべは、若干遅かったようです。

この時期、最勝院が最も映える季節です。
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本堂

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境内

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しだれ桜も

もう少し最勝院のことを続けます。お付き合いください。 

旅する?板碑「青石塔婆」

前回、建武二年銘の板碑「青石塔婆」のことに少し触れましたが、須賀芳郎氏の『春日部の寺院』(1996年)によると、昭和の初期には、春日部重行公の墳墓の上にあったそうです。おそらく重行公の追善供養のため建てたのでしょうね。

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桜と鳥居の向こうは春日部重行公の墳墓

 

当時、板碑は二つに割れていたので、新町橋のたもとの鋳かけ屋(今は石材店?)で周囲を銅板で補修したとのことです。
そして、この板碑、いつしか行方不明になっていまいました。事件ですね。

ここからが板碑の旅(たび)の始まりです。


まず、東京の人(収集家?)の手に渡り、戦時中に、新潟県の旧家に疎開
その後、新潟県立博物館(当時の)が所有していましたが、終戦後、同博物館がアメリ進駐軍の本部になり閉鎖。
そして、新潟県豪農といわれた伊藤家に引き取られ、最終的には、同家が設立した「北方文化博物館」(新潟県新潟市)に収蔵・保管されていたそうです。
そのことを人伝てに聞いたかすかべの市の関係者が現地調査をして確認、最終的に当時の市長自らが現地を赴き、板碑の返還をお願いしたそうです。 
幸いにも「北方文化博物館」のご理解を得ることができ、昭和52年(1977)、無事、当地へ里帰りされました。よかった‼

その時、板碑の裏面に「粕壁最上寺より出土」と書かれていたことが決め手になったとのこと。それにしても、「最上寺」って、
もしかして、建武二年の頃の寺院名は「最上寺」? なんて、そんなことはありませんよね。

今は、本堂内にあるそうです。一度見てみたいなぁ。

 

なお、「北方文化博物館」(ほっぽうぶんかはくぶつかん)については、
こちら↓↓
  豪農の館「北方文化博物館」

この博物館は、藤の花が有名だそうです。この点も藤の街かすかべとのご縁を感じます。

 

須賀芳郎氏の『春日部の寺院』には当時の市長などのお名前が書いてありますが、ここはあえて参考にとどめお名前は省きました。

 

最後に一句、墳丘の前にあった句碑より

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 さきたまの空  

  蒼然と  雁渡る      

    花人(?)

 

この句、季語の雁からすると秋を詠んだ句なんですね。