かすかべ時遊帳

かすかびあんの時遊で気ままなブログです。

粕壁「 最勝院」から千住「茶釜橋」ヘ、千住馬車鉄道に思いを馳せる!

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再び最勝院ヘ

もうすぐ今年の桜も見納め。

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桜は散り始めていました。

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以前の最勝院の境内はかなり広かったといわれています。高札場跡がある高層マンション付近まであったそうです。

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最勝院境内から粕壁宿を見る。約1kmの直線「かすかべ大通り」です。

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案内板

そして、明治期、境内には、小学校(粕壁小学校、明治5年)や税務署(粕壁税務署、明治42年)等がありました。

大相撲の地方巡業、サーカス、村芝居等の興業に利用されたそうです。まさに“レジャーランド”といった感じですね。

今は、小学校も税務署も別の場所に移転しています。でも、この最勝院が、かすかべの発展に大いに寄与したことは間違いありません。

そして、なんと言っても、忘れてならないのは、この最勝院が「千住馬車鉄道」の発着所だったことです。

千住馬車鉄道

明治26年(1893)年2月7日に、千住茶釜橋(せんじゅちゃがまばし、足立区北千住の千住新橋付近?)から越ケ谷町(現在の越谷市)まで、既に開通していた「千住馬車鉄道」が延伸され、明治26年(1893)6月1日、「最勝院」が「千住馬車鉄道」の発着所になりました。 

当時、東京に出るには、徒歩か馬車あるいは舟運のいずれかしかありませんでした。

明治15年(1882)に営業を開始していた「東京馬車鉄道」に触発されたかのように、明治22年(1889)、陸羽街道(日光道中)の沿道地域の住民を中心に、東京府下南足立郡千住町(現在の東京都足立区)から埼玉県北葛飾郡幸手町(現在の埼玉県幸手市)まで、馬車が軌条の上を走る馬車鉄道の敷設が計画され、敷設願が埼玉県県知事と東京府知事に出願されました。

認可に至るまでには、沿線の地域住民の根強い反対がありましたが、明治23年(1890)11月6日、運輸業を営むことが、内務大臣西郷従道から特許されました。

この特許を受け、直ちに工事が着工されましたが、沿線住民の反対、陸羽街道はもともと地盤が弱く元荒川の橋梁工事に時間を費やすなど難工事が続き、敷設出願から4年後の明治26年(1893)ようやく営業を開始しました。

発起人(32名)らは、当初、幸手から千住、さらには東京・浅草までの路線営業を考えていたようですが、沿線住民による敷設反対などで工事が遅れ、さらに資金難もあり、区間短縮を余儀なくされ、結局、粕壁〜幸手間は、普通馬車での運行として開業しました。

馬車は6人掛け2列で12人乗り、粕壁から千住まで約40キロメートルを3時間かけて運行し、一日2往復、運賃は千住まで、通しで27銭だったそうです。

今は、東武鉄道に乗れば、特急で20分、急行だと30分位ですが、江戸の昔には、ほほ一日を要したことを考えれば、地域の人々にとっては、まさに“文明の足”と言っても過言ではありませんでした。

馬車鉄道の終焉

しかし、同時期には、東武鉄道の敷設計画(営業開始は、明治32年(1899))もあり、その影響を受け、徐々に経営が悪化、ついに明治30年(1897)5月、粕壁〜大沢現在の越谷市の営業を取り止め、さらに7月に全線の営業を終了してしまいました。わずか4年ほどの儚い営業運行でした。

その後、大沢〜千住間の営業は、明治31年(1898)11月に設立された「草加馬車鉄道」に引き継がれました。そして、「草加馬車鉄道」も明治33年(1900)2月に廃線・廃業となりました。この「草加馬車鉄道」、当時建設中だった東武鉄道(東武伊勢崎線)の工事関係者が多く利用したそうですよ。皮肉なものですね。

 

「埼玉県文書館」(さいたま市浦和区)に当時の出願書類等の行政文書はありますが、写真はもちろん、軌条跡など、物としての痕跡は、全く残っていません。

 

わずかに、古利根公園橋のたもとに「千住馬車鉄道」をモチーフにした彫刻に残るのみです。 

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滝と噴水(テト馬車)

雨宮一正作

 

この千住馬車鉄道について、「時代を見誤った」とか、「経営者が駄目だったんじゃないか」とか、仰る方は少なくないと思います。自分もその中の一人でした。

しかし、調べて見ると経営陣にもそれなりの人物がいたようです。私は、彼らは志を持った立派な人達だった、と評価してもいいのではないか、と今は思っています。

 

日本の鉄道史に詳しい跡見学園女子大学教授の老川慶喜氏は、著書『明治期地方鉄道史研究』「埼玉県下における馬車鉄道の展開」(1983年)において「馬車鉄道の研究は、近代交通史においていわば盲点ともいえる」、と述べています。興味が湧いてきますね。

この千住馬車鉄道については、もう少し調べていずれ記事にしたいと思います。

          

千住馬車鉄道について

参考文献:

  • 春日部市史 第5巻 民俗編 1993年
  • 春日部市郷土資料館  第27回特別展 『馬車鉄道の想い出〜千住馬車鉄道〜』 2003年7月
  • 春日部市史別冊『千住馬車鉄道』 春日部市教育委員会市史編さん室   1984年3月
千住馬車鉄道 (1984年)

千住馬車鉄道 (1984年)

 

著作権の関係でAmazonのリンクを貼ります。

なお、購入等のお問合せは、春日部市の文化財保護課(電話:048-763-2449)まで。くれぐれも電話番号をお間違えないようにお願いします。

 

 老川慶喜氏の著書は、こちら

日本鉄道史 幕末・明治篇 - 蒸気車模型から鉄道国有化まで (中公新書)

日本鉄道史 幕末・明治篇 - 蒸気車模型から鉄道国有化まで (中公新書)

 

なお、今年2月、幕末の導入前夜から現在に至るまでの歩みを振り返った『日本鉄道史』三部作が完結したとのことです。(読売新聞2019.4.1付朝刊)