かすかべ時遊帳

かすかびあんの時遊で気ままなブログです。

大正天皇即位に伴う大嘗祭御用「梅田牛蒡」は幻のごぼう⁉

スポンサーリンク

女體神社の鳥居の脇にある門柱(社号標)の側に細い石碑が建っています。

f:id:takejiisan:20190916103507j:plain

左端にひっそりと建っています

f:id:takejiisan:20190914131735j:plain

大嘗祭御用梅田牛蒡御買上記念

f:id:takejiisan:20190914131756j:plain

大正四年十一月十四日

この石碑は、大正天皇の即位に伴う大嘗祭に、当地で採れた牛蒡(ごぼう)がお買上になった「記念碑」です。

えっ!なんで“ごぼう”なの?と思いますよね。

実は、神社入口の説明板にもあるように、江戸時代から当地梅田は“ごぼう”の産地でした。江戸時代の料理本にも「梅田ごぼう」の名が載っていたそうです。

梅田ごぼう

『春日部市史』によると

〜略〜『武蔵国郡村史』梅田村の項には、物産として米・大麦・大豆と並んで「牛房千五百本、牛房は、岩槻町に販く、多分の産出なしと雖も其名近郷に著し」と、ごぼうが梅田村の特産物であることが記されている。

梅田村の地味は「色黃赤真土(まつち)にして砂を交へ、稲麦茶に適せずして」(『武蔵国郡村史』)というもので古利根川と古隅田川に挟まれた水はけのいい砂混じりの耕地がごぼうの栽培に適していたのであろう。 

 梅田二丁目の金子家は、江戸時代にごぼうの品種改良に成功して「梅田ごぼう」の名を世に送ったことで知られ代々種子の栽培が専業であったことから「種親」と呼ばれてきたという。梅田ごぼうは通常直径五〜六㌢ぐらいの太い品種で、芯がなく、中身は裂けていないが適当に鬚(す)が入っているものが上等とされ、千葉の大浦(晩生種)、京都の白河(早生種)、梅田(中生種)、それに細身の滝川・砂川などが優良品種といわれる。

 明治十年に新政府が殖産興業のために催した第一回内国勧業博覧会には、梅田村の清水弥藤次が特産品としてごぼうを出品しているが、梅田ごぼうは明治時代になると宮内省大膳寮にも納入されるようになり、現在、梅田東の女体神社入口には梅田ごぼう宮内省お買上げの記念碑が建立されている。

(『春日部市史/第六巻/通史編Ⅰ』近世/第六章/貨幣経済の浸透と商品生産/第二節/商品作物の生産/梅田ごぼう)

また、郷土史家の須賀芳郎氏は、

梅田ごぼうの栽培についての資料となる文献がないので定かでありませんが、古老の話を総合すると江戸時代の中頃には栽培されていたといわれています

梅田ごぼうの適地は、おおむね梅田東耕地が多く、特に春日部工業高校附近が適地で、最盛期には五町歩位の栽培面積があったといわれ、また十六号バイパス際の雷電神社附近でも戦後まで栽培されていました。
江戸時代には、梅田ごぼうは主として岩槻・幸手宿に出荷され粕壁宿には安値のため余り出荷されず、特に幸手宿に多く出荷されていました。それは、幸手宿から江戸川を経由して江戸府内に回そうされていたからです。明治時代になってから、宮内省大膳寮に納入され、昭和初期まで続きました。
さらに、鉄道の発達により関西方面へも出荷するようになり、京都の円山公園内の高級料亭へも納品されたといわれています。
現在、梅田二丁目に梅田ごぼうの「種親」と呼ばれる金子家(当主は金子堅太郎氏)があり、江戸時代「ごぼう」の品種改良に成功して一躍「梅田ごぼう」を世におくった方で、代々種子の栽培が専業であったところから、「種親」といわれていました。
金子家では、大正8年頃まで「種親」の営業を続け、また金子堅太郎氏は、昭和8年頃までごぼうの種子作りをしていました。
金子氏の話では、戦後、宮内省の御用商人が金子家を訪れ「梅田ごぼう」を調査し、畑に栽培してあった「ごぼう」を見分け長さが30㌢位で太さが変化していない部分を掘りあげ、長さと太さが一定しているものを買い取って行ったことがあり、相場も市価の三倍ぐらいになったといわれています。「梅田ごぼう」の産地も、開発が盛んになり、その名残りもなくなってしまい、現在は、梅田東の女体神社入口際に「梅田ごぼう」宮内省お買い上げの記念碑が建立されています。

(ふるさと春日部『かすかべの歴史余話/梅田ごぼう』須賀芳郎/著 1977年~)

と書いています。

京都の高級料亭に、さらに宮中へ

このように、当地から出荷される太くて味の良い『梅田牛蒡』は当時、日本一と称され、京都の円山公園にある『芋蒡』という高級料亭にも直送納入されていたと言われています。その関係からでしょうか、明治時代から昭和初期頃まで、宮内省大膳寮に納入されていました。

『芋蒡』(いもぼう)とは、「平野家本家」なのでしようか?

京都・円山公園内知恩院に近い「平野屋本家」は、新島 襄と妻八重が両親と伴に家族写真を撮った後に会食したと言われる店で、「いもぼう」で知られています。

 ↓↓

京名物「いもぼう」平野家本家 京都円山公園

 

因みに、

牛蒡(ごぼう)

牛蒡を食用とする国は、日本と韓国と台湾だけだそうです。原産地の中国大陸やヨーロッパでは牛蒡は薬であり、食材として認識されてはいないそうです。古くは縄文~平安時代の間に漢方薬として伝わった牛蒡を、我が国が独自に食用として栽培を始め、江戸時代には全国で作られ、常食されるようになったと言われています。

日本のごぼうの産地(品種)

異論もあると思いますが、まとめると、

  • 滝野川牛蒡…長さ約1メートル、直径2~3センチ。長根ごぼうの代表品種。江戸初期から東京の滝野川付近で栽培され、現在の主流。
  • 堀川牛蒡…京都堀川で滝野川系ごぼうを特殊栽培。長さ約50センチ、直径6~9センチ。中に空洞があり、栽培に手間がかかるので、高価。
  • 梅田牛蒡…埼玉県などでわずかに栽培されている、太い品種。皮がゴツゴツしているが、肉質は柔らかく、香りがあって味が良い。ほとんど出回っていない幻のごぼう。
  • 大浦牛蒡…直径約10cmで、大きいものは4kgにもなる品種。中に空洞があり、断面は偏平で詰め物にする。千葉県八日市場市大浦で、成田山新勝寺献上用の契約栽培としてわずかに栽培されており、市場には出回っていない。梅田ごぼうは、品種的には大浦系と言われている。

梅田ごぼうについては画像がありませんが、大浦ごぼうについては、こちらのサイトをどうぞ。大浦系と言われる梅田ごぼうもこんな感じだったのでしょうか?

↓↓

[大浦ごぼう | 匝瑳市公式ホームページ 

大嘗祭

大嘗祭(おおにえのまつり)は、天皇が即位の礼の後、初めて行う新嘗祭(にいなめさい)。一代一度限りの大祭であり、実質的に践祚の儀式。践祚大嘗祭ともいい、「おおなめのまつり」「だいじょうさい」「おおむべのまつり」とも呼びます。「だいじょうさい」のほうが馴染みがありますね。

f:id:takejiisan:20190914200339j:plain

大正天皇即位の礼 (Wikipedia)

皇室典範・登極令制定後、初めてとなった大正天皇即位の礼は、大正4年(1915)11月10日に京都御所紫宸殿で行われました。本来は1914年(大正3年)に挙行される予定でしたが、同年4月に昭憲皇太后のご崩御により1年延期されました。大嘗祭は、同じく大正4年11月14日〜15日に行なわれました。当神社の記念碑は、この時のお買い上げを記念して建立したものです。

令和の大嘗祭

今年、新天皇即位に伴い、11月14日(木)夕から夜を徹して、天皇が一代で一度だけ臨む大がかりな神事の大嘗祭(だいじょうさい)が古式ゆかしく行われます。

因みに、昭和天皇の大嘗祭は、京都御所紫宸殿で行われ、現上皇さまの平成の大嘗祭は東京の皇居・東御苑で行なわれました。

令和の大嘗祭については、簡素に、と言う意見もあるようですが、今回も前回同様に皇居・東御苑で、この神事の用の「大嘗宮」を造って行なわれます。

純白の祭服を着た新陛下がほのかな明かりの中、中核儀式が行われる祭場殿舎の「悠紀殿(ゆきでん)」に入ります。また、白色の十二単姿の皇后さまら皇族方もご参列されます。

なお、皇位継承儀式の「即位礼正殿の儀」は、10月22日(火)、世界の150カ国から元首・首脳クラスの来賓を迎え古式通り行われます。自分としては、もう二度と見ることできない儀式なので、今から楽しみにしています。

 

最後に 

大正天皇の大嘗祭に、実際、梅田牛蒡が使われたかどうかは、この記念碑に拠るしかありませんが、今は、宅地化が進み耕作地も少なくなり、牛蒡を作っている農家さんもほとんど無くなり、「梅田牛蒡」は“幻のごぼう”となりました。

宮中行事に地元の食材が使われたことは、当時の人々にとって大変名誉なことだったのでしょうね。

令和になって新天皇即位に伴う儀式がまもなく行なわれます。100年前の儀式に当地のごぼうがお買上げになったことを知る人は少なくなり、関心もなくなりました。来月の即位の礼に続く11月の大嘗祭の折にでも「梅田ごぼう」のことを少しでも思い出していただければ幸いです。たかが“ごぼう”されど“ごぼう”なんです。

 

令和の時代にも日本のどこかで同じような「懸念碑」が建つのでしょうか?

 

ふと、思ったのですが、この記念碑は、もしかしてごぼうの形なのかもしれません。

 

f:id:takejiisan:20190916103947j:plain

対岸から見た女體神社、1月に撮影したので雑草はありません

以上、4回にわたり、梅田の村社女體神社についていろいろ書いてきました。

ついつい文章が長くなってしまいましたが、最後までお読み頂きありがとうございました。