かすかべ時遊帳

かすかびあんの時遊で気ままなブログです。

かすかべで富士山に登ってみました⁉

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春日部稲荷神社から道を下って行くと鳥居があり、その先は、神の領域、そしてそこには富士山(浅間山)が…

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浅間社ヘ

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鳥居

浅間山

春日部稲荷神社の右隣りにあるこの小高い山は「浅間山(せんげんやま)」と呼ばれています。昔、春日部氏がこの地の領主だった頃、城の物見(見張所)として使用されたと伝えられています。なお、製鉄の登り窯跡や古墳という説もありますが、それは??

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浅間山

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別の角度から

そして、江戸時代には、「富士講」の信仰の地となり、信者の手によって「富士山」を形どって「富士塚」が形成されました。頂上につづく道には一合目・二合目などの標識が建てられ、今もその標識が残っています。

登山道へ

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登山道の入口

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登山道

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浅間大神

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二合目

三合目はすぐには見つからなかったのですが、よく見ると…

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何やら標識石らしきものが

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確かに三合目の標識です 弘化2年(1845)?

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さらに登ります

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四合目

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頂上の鳥居が見えます

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五合目

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ようやく頂上に

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不弐大神

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裏面

富士山の名前

頂上にある神名の石碑に「不弐大神」と「不弐」の字が刻まれていますが、ふじの山の呼び方には、いろいろあるようです。

そこで、まずは、ふじのやまの地名の由来を少し。

「かぐや姫」で知られる『竹取物語」は、日本人であれば、知らない人はまずいないと思います。源氏物語にもこの「竹取物語」は物語の「出来はじめの祖(おや)」とも言われています。

その「竹取物語」にある「ふじのやまの由来」について、興味深い話があります。

〜略〜

この竹取物語は、かぐや姫が昇天にあたり奉った「不死の薬の壷」を、みかどは、今さら「何にかはせむ」と、使い命じ駿河国にある天に近い山の頂で燃やして終わる。

そして、「(御使)つはものどもあまた具して山へ登りけるよりなん、その山をふじの山とは名づけける。その煙いまだ雲の中ヘたち上るとぞ言ひ伝えたる。」と結ばれる。つまり、ふじの山が、なぜ富士の山と名が付いているかは、勅使の「(つはもの)ども(あまた)」具した出で立ちを記念したものだと言うわけである。これは、当時の貴族の男達が好んだ、土佐日記などでも盛んになされている、いわば、駄洒落のオチである。当時の読者も、その言葉遊びに興じはしても、なるほどフジの命名の謂われとはそうだったのか、などと心底納得するというものではなかっただろう。しかし、このような結末にすることで、竹取物語は、実は、「物語の出来はじめ」というよりも、富士の山の長い長い地名由来語りとしての古来の体裁を整えたことになる。〜以下略〜

(『ヤマトコトバの考古学』木村紀子著、2009/7/2、平凡社)

かぐや姫の「竹取物語」は、実は富士山の地名の由来譚だったのですね。知りませんでした。「竹取物語」は、高校生の頃、古文の授業で習いましたが、富士山の地名由来の物語だとわかっていれば、もう少し楽しんで勉強したかも知れません。

さらに、ふじ山の『ふじ」の表記について、

万葉集の表記は、正訓的な表記の歌中で「不尽・布士・布仕」とあり、一音仮名表記の歌中で「不自・布自・布時」とあるが、いずれも仮名表記と見られる。霊異記の「富岻」、常陸国風土記の「福慈」、そして「富士」も、つまりは仮名であろう。要するに、「言ひも得ず 名づけも知らず 霊(くす)くも 坐す神かも」(万葉319)というわけで、フジは、結局正字表記はなかったのである。

〜中略〜

太古以来、雄壮な活火山だったフジの本義とは、単純に「(吹き出す)(基)」ではないかというのが、以上による試みの解だが、本義不明の「霊(くす)しき」存在としておく方が、むしろよいのかもしれない。

(『ヤマトコトバの考古学』木村紀子著、2009/7/2、平凡社)

結局、どの字が正解かは無かった。つまり、いずれの表記もありということなのでしようね。従って、「不弐」でもOKということです。

 

富士信仰

富士信仰(ふじしんこう)は、富士山の神に対する神祇信仰。山岳信仰の1つ。富士信仰は、富士山そのものを神と見立てるなど、何らかの形で富士山を信仰・崇拝の対象とすることであり、代表的なものとして、浅間信仰(せんげんしんこう)。富士浅間信仰とも)がある。その他、著名なものに村山修験や富士講などがある。(Wikipedia)

富士山本宮浅間神社のサイトは、こちら

↓↓

富士山本宮浅間大社:御由緒

富士講「丸岩講」

江戸時代に興った冨士講の一つで大正から明治にかけて隆盛を極めたとされる。「丸岩講」は、岩槻を発祥とし、丸の中に岩槻の岩が入るものが講印とされた。

丸岩講のサイトは、こちら

↓↓

丸岩一信講

 

 

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丸岩講が奉納建立した鳥居

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確かに、鳥居には丸に岩の文字が

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粕壁丸岩元講社

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扶桑教信徒中

扶桑教(ふそうきょう)は、散在する富士講を結集し1873年(明治6年)に設立した「富士一山講社」に起源をもつ教派神道の一派である。(Wikipedia)

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奉納の石碑  
江戸小舟町三丁目 鰹節店 遠州屋興八 奉納

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めしせんげん…?

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弘化四年(1847)?

浅間山の修復

市内、皆川家所蔵文書の「仙元記(せんげんき)」によると、弘化2年(1845年)6月、この山が風雨により崩れたので、山の形を整えるため粕壁宿はもとより、近郷の幸手領・岩槻領・新方領等から多勢の人々が集まり「笊(ザル)」と弁当を持参で崩れた山に砂を運び盛り上げたと記されているそうで、このときの砂土運搬に使用された「笊(ザル)」が今も春日部八幡神社内に保存されています。

 土取り場

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案永三年の粕壁宿の絵図

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少し拡大

 7月6日、春日部郷土資料館に企画展を見に行った時、古い絵図が参考展示されていました。よく見ると、春日部八幡神社の文字の上に「土取り場」なる箇所が描かれていました。この絵図が描かれたのは安永三年(1774)となっていますので、上記の富士塚修復工事の80年程前になりますが、その当時から堆積した砂土を掘る場所があったようです。とても興味深いですね。残念ながら、ズームして撮影しなかっので、文字はよく見えません。

「初山」行事

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初山の準備 以前撮影したもの

この浅間社浅間山では、毎年7月1日、「初山」という祭礼が行なわれていますが、今年は、残念ながら雨天でしたので、見物には行きませんでした。

 

以上数回にわたり、春日部八幡神社、同稲荷神社のことを書いてきました。まだ、知らないことが沢山あると思いますが、八幡神社編はひとまずこれで……

 

次回をお楽しみに…