かすかべ時遊帳

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八幡神社のことをいろいろと⁉

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そろそろ「春日部八幡神社」のことを、

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春日部八幡神社社殿

とその前に。

今更ですが、

八幡神社

八幡さまは庶民的な神

八幡神社は、八幡さまとか八幡さんと呼ばれ親しまれています。子供の頃、近くの八幡さまでよく遊んでいました。お祭りもありました。

その八幡神社は、分祀も含めて全国に3〜4万社あるのことで、お稲荷さま(稲荷神社)に次いで、二番目に数が多い神社と言われています。日本全国どこの町や村に行っても出会う神さまです。

戦前までは、武神として崇められてきましたが、戦後は、平和の観念のもと、交通安全から学業成就、縁結びなど所願成就の神として、庶民的で親しみやすい神さまとしてすっかり定着しています。

古典落語の世界では

私は、八幡神社と聞くと、「紀州」という落語での三代目・三遊亭金馬師匠の「まくら」(話しの前振り)を思い浮かべます。

「紀州」という落語は、徳川第七代将軍家継が7歳で亡くなり、その跡目として御三家の尾州公と紀州公が打診されるが、結局、紀州公の吉宗が八代将軍になるというお話。そして、「キシュー」という鍛冶屋の音が話のオチ。

金馬師匠は、「人間の命の短さから、母の胎内に一日でも長くいると賢い子になる、一番長くいたのは、三年三ヶ月もの間、母(神功皇后)の胎内にいたとされる応神天皇」という具合に話を進めます。 

朝鮮半島遠征から帰国した神功皇后を武内宿禰が宇佐で出迎え、無事、応神天皇が生まれます。応神天皇誕生に因む宇瀰(うみ)、嬉野(うれしの)の地名譚や屋根を菖蒲で葺く由来などなど(もちろん真偽の程わかりませんが)、金馬師匠の流れるような語り口に「ふ〜んそうなんだ」と妙に感心していました。

そして、応神天皇が母の神功皇后共に戦い強いということから、総本社の宇佐八幡宮(大分県)の御神体として、「弓矢八幡大武神」と崇められ、宇佐八幡宮から男山(石清水)八幡宮(京都府京都市)を中継し、源頼朝により鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)へ、そして、徳川家康により、江戸・深川の富岡八幡宮(東京都江東区)へと話しをつないでいきます。最後に八幡神社を最も篤く信仰したのは徳川家康、と「まくら」をまとめ、落語の本題に入ります。

八幡信仰

前述の通り、日本では、分祀を含め、稲荷神社に次いで八幡神社が多いとされています。 

八幡信仰は、金馬師匠の話の通り、九州・大分県宇佐市にある宇佐八幡宮から日本全国に広まりました。

古代の宇佐地方は、瀬戸内海方面と大陸や朝鮮半島との中継地として重要な立地にあり、そして、その他を拠点とする宇佐氏という地方豪族(首長)の本拠地でもありました。

宇佐氏は航海民(海人族とも)と言われ、漁業や航海に長けた人々でした。宇佐氏は、自分たちの祖先神として海人を祀っており、後にその神が八幡(やはた)の神と呼ばれるようになったとされています。八幡(やはた)の「八」は大数で「多い」という意味で使われ、船に多くの大漁旗が立てられている様子を表す言葉と言われています。

また、古代の宇佐地方は、秦王国があった地域とも言われています。そのため「旗」は「秦」ではないか、という説もあり、秦王国との関わりを指摘する方もいます。

大和朝廷との関わり

宇佐の神が八幡神として信仰された経緯は、はっきりしていないようですが、4世紀頃、大和朝廷は九州を支配するため宇佐氏の力を重要視し、そのために宇佐の神を祀る宇佐八幡宮を重んじるようになったと言われています。

また、奈良時代の東大寺建立の際、宇佐八幡宮の巫女に「奈良に赴き大仏づくりを助けたい」という神託が下ったことを受け、聖武天皇は、この神託に大きな力を得て、大仏建立を成し遂げました。そして、奈良の都に手向山(たむけやま)八幡宮を建て、皇室が八幡神を祀るようになったと言われいます。

主祭神は

宇佐八幡宮の主祭神は、和風諡号が誉田別命(ほんだわけのみこと)・第15代天皇の応神天皇、母神の息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと) ・神功皇后、そして、比売大神(宗像三女神)です。全国にある八幡宮・神社も主祭神は応神天皇です。いずれにしても、誉田別命よりも漢風諡号の「応神天皇」がよく知られています。

宇佐八幡宮には、6世紀の欽明(きんめい)天皇(539〜571)の御代、宇佐神が神職に「われは応神天皇である」というお告げを下したとする言伝えがあり、以来、八幡神が応神天皇であるとされました。もちろんその当時、応神天皇と言う名前はありませんから、誉田別命ですが。

武士の信仰

しかし、その言伝えは平安時代後期にできたものと思われる、とする説もありますので⁇  ややこしいですね。

それでは、何故、八幡信仰が全国に広まったのでしようか?

平安時代後期、武家の棟梁である清和源氏の八幡信仰が高まった時代がありました。勇名で知られた源義家(みなもとのよしいえ)は、京都・男山の石清水八幡宮で元服し、自らを「八幡太郎義家」と称しています。このように源氏が、八幡神と朝鮮半島遠征にまつわる応神天皇とを結びつけたと考えられます。

更に、清和源氏の源頼朝が鎌倉幕府を開き、鶴岡八幡宮を信仰したことをきっかけとして、鎌倉幕府の麾下の武士の間に、幕府に忠誠を誓う意味もあり、国家鎮護や家運隆盛をもたらす神として、八幡信仰が一気に広まっていったと考えられます。そして、全国にも。

私も毎年正月、「春日部八幡神社」に初詣に行っています。今春の選抜高校野球に出場した春日部共栄高校の選手たちも甲子園球場に行く前に必勝を祈願したと聞きました。結果は残念でしたが。

邪馬台国は宇佐にあった?

ところで、私は、「宇佐」と聞くと、推理小説家の高木彬光氏の『邪馬台国の秘密』という小説を思い出します。ちょっと横道ですが。

高木彬光氏の『成吉思汗の秘密』は、源義経は成吉思汗である、という大変インパクトのある結末で、確か高校生の頃読みました。また、学校(高校)で著者の高木彬光氏の講演を聴いた記憶があります。

そして、その後出版されたのがこの『邪馬台国の秘密』。

宇佐大神宮の御祭神は応神天皇、神功皇后、比売(ひめ)大神の三柱で、中央の社が比売(ひめ)大神。後年、大和朝廷が宇佐大神宮を伊勢神宮より重視したという記録があることから、比売大神即ち卑弥呼説?を展開しています。

入院加療中の名探偵・神津恭介(かみづ・きようすけ)と友人の推理作家・松下研三(まつした・けんぞう)が、『魏志倭人伝』をもとに、邪馬台国はどこにあった?  女王・卑弥呼とは?という謎に果敢に挑戦するストーリー。主人公は入院中で、ベッドの上で様々な推理(ベッド・ディテクティヴというそうです)を働かせ行きます。

そして、邪馬台国は宇佐にあった、卑弥呼は比売大神ではないかと推理し、更に、神功皇后は卑弥呼の孫(原文のママ)壱与に比定しています。

とすると、応神天皇は壱与の子?そして、応神天皇は異民族の血をひく君主とも。あくまでも高木彬光氏の説ですが。当時、ワクワクして読んだ記憶があります。また、結構、話題にもなり、確か、いろいろと論争もあったと記憶しています。半世紀も前のことです。

なお、『古事記』(中村啓信=訳注、角川文庫)の解説で、

神功皇后という人物が注目に値するのは、母が葛城之高額比売(かずらきのたかぬかひめ)であることである。ちなみに父は息長宿祢王(おきながすくねのみこ)で、第九代開化天皇(かいかてんのう)の皇子日子坐王(ひこいますのみこ)の血を引く。この高額比売は早く我が国に渡来した新羅王の子天之日矛(あめのひほこ)の六代の孫、多遅摩比多詞(たじまひたか)の娘であり、『古事記』は「これは息長帯比売命の母君である」と注もつけている。つまり帯比売は確かに新羅王統の血を引くという。しかし、世系は遠く隔たり王族とも言えない。以下略

(新版古事記 現代語訳付き 中村啓信=訳注 角川文庫15906)

と書いてあります。やはり新羅王の血統?なのでしようか。

邪馬台国を研究している考古学者はいない?

しかし、以前(8年程前)、通信制の大学のスクーリングを受講した際、考古学者の酒井龍一教授(当時)は、「考古学者で邪馬台国を熱心に研究している考古学者は皆無である」と仰っていました。「何しろモノの史料が全くありませんので」と。そういうことなのでしようね。 

 

落語から推理小説まで、かなり散らかってしまいました。すみません。八幡神社ことをいろいろ考え、時を超えて遊んでみました。

 

ところで、「百舌鳥・古市古墳群」が世界遺産登録決定とのニュースが先ほど速報で流れました。嬉しいですね。関係者の皆様おめでとうございます‼

 

 

古典落語も結構面白いですよ。YouTubeでも聴くことができますので、たまには如何がでしようか。

 

NHK落語名人選100 12 三代目 三遊亭金馬 「居酒屋」「紀州」

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邪馬台国の秘密 改稿新版 (角川文庫 緑 338-51)

邪馬台国の秘密 改稿新版 (角川文庫 緑 338-51)

 
新版 古事記 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

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