かすかべ時遊帳

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飛鳥人にとっての星空は旅愁をいざなう絵画⁉️

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6月29日(土)、大和文化会の「公開講座」を聴講しました。

会場は、

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三吉橋から見た「銀座ブロッサム 中央会館」

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演題:「キトラ・高松塚古墳壁画の宇宙観

ー飛鳥人が思い描いた星空の世界ー」

講師:来村 多加史(きたむら・たかし) 

阪南大学国際観光学部教授

ご専門は中国考古学及び中国軍事史

講演のポイント

  • 我が国には、星座に関する歴史史料も考古史料もほとんど見当たらない。
  • 日本書紀にも日食、月食など天変地異は書かれているものの、星や星座に関することは書かれていない。
  • 万葉集に柿本人麻呂の歌が見られるのみ (巻7-1068)

    天の海に 雲の波立ち 月の船 

     星の林に  漕ぎ隠る見ゆ   

 

兄弟古墳

  • キトラ・高松塚の両古墳とも谷筋の奥にあり、従来の「尾根の上にある古墳」と言うよりむしろ「谷の中にある古墳」、どちらかというと控え目な古墳の印象。
  • 両古墳とも構造的にはよく似ている。キトラと高松塚で共通に描かれていたのは、「四神図」である。両古墳の「四神図」は極めて似通っており、その点も兄弟古墳と呼ばれる所以である。なお、「四神図」は、天と地を結ぶ媒体としての意味を持つ。
  • 絵を書いた人物は、中国・唐に留学経験がある人物の可能性が高い。この人物が唐から「四神図」などの原画を持ち帰えり、両古墳の壁画の創作に関わったことは間違いない。
  • 特に、「玄武図」については、中国における「玄武図」の描かれ方の歴史から、両古墳の「玄武図」には微妙な違い認められる。
  • そのことは、キトラ古墳で先に描かれ、その後、高松塚古墳で修正が加えられた可能性を示しているのでは?

キトラ古墳の天文図

  • 現存する世界最古の星図と言われる「南宋淳祐天文図」(南宋・淳祐7年(1247)石に刻まれている天文図)と比較すると星や星座(宿座)の数が少ない。
  • キトラ古墳の天文図は星図(原図)を見て描かれた絵画(デザイン画?)と思われ、星の位置は正確とは言えない。
  • キトラ古墳の天文図は、朝鮮半島の影響は受けていない。書いたのは日本人の可能性が高い。
  • 断定はできないが、書いたのは、持統天皇の葬儀を取り仕切った人物と思われる。その人物は唐に留学した経験を持っている。人物名は?
  • 星図に使われた星表のような観測ができる体制や能力があるのは古代では中国しかあり得ない。よって、どこで観測された(どこの)星空なのか?という疑問はあまり意味がない。高句麗の平壌の星空ということはあり得ない。

誤解していた?

以前(2014.4.5)、大和文化会例会で聴いた「キトラ古墳語り合う―壁画発見30年を顧みる―」という講演で、講師の京都橘大学名誉教授の猪熊兼勝氏は、天文史の宮島一彦氏の意見とした上で、「キトラ古墳に描かれた天文図は、高句麗の首都、平壌の夜空である」と述べていました。

今回の講演で、来村先生は、そのことを否定されました(それも一蹴)ので、びっくりしました。私は、ずーっと平壌の星空と思ってきましたので。古代中国で観測された星図が元だとは、知りませんでした。誤解だったのでしようか。

キトラ古墳の天文図の元になった原図も唐代の紀元400年頃の星表を元に描かれていたようです。きっと高松塚古墳の星宿図についても同じなのでしようね。

高松塚古墳の天文図は天蓋?

  • キトラ古墳と高松塚古墳の天井の形状は異なる。キトラ古墳は「屋根形」で高く、高松塚古墳は「平天井」で少し低い。 
  • キトラ古墳の天文図は、星、星座の数が少ないが「天文図」に近い。一方、高松塚古墳の星宿図の場合は、星の数も少なく、位置も正確とは言えない。むしろ絵画、デザイン画のようである。
  • また、高松塚古墳の星宿図は、まるで、菓子折りの箱の展開図のように、四隅がほぼ正方形に欠けているかのように見える。
  • そのことに着目し、発想を飛ばすと、法隆寺の釈迦三尊像の中の間の「天蓋」にヒントを得る。
  • 更に、571年の「北斉徐显秀墓」の壁画を例に、君主の外出の移動の際、君主の頭上にさす傘つまり「天蓋だったのでは」、と想像する。
  • 紀元571年に亡くなった北斉の高官「徐顕栄」は、その墓葬も豪華を極めたとされ、墓主の外遊場面などを多彩に描いている墓室の壁画は、保存状態が極めて良好で天蓋を初め、儀仗隊の服飾、車飾、馬具などの細部まで見事に描き出しており、当時の壁画が高いレベルあったことを伺わせる。
  • 中国の古典『礼記』「曲礼上」に「進(すす)むに朱鳥(しゅちょう)を前(まへ)にし、而(しこう)して玄武(げんぶ)を後(うしろ)にし、青龍を左にして、而(しこう)して白虎を右にし、招揺(しょうよう)上にあり」とある。
  • 招揺(しょうよう)とは北斗星の第七星であるが、一星だけでは絵にならないだろうから、天極を示す星座が描かれた旗か蓋(きぬがさ)と推測される。天子行軍の儀仗を記したものであるが、高松塚古墳天文図の意味を考える際に最も重要な史料であると思う。
  • 「天蓋」と考えると、高松塚古墳の星宿図の四隅が欠けていること、天井が「平天井」であることも腑に落ちる。
  • また、高松塚古墳の壁画には人物群像が描かれている。特に女人群像(いわゆる飛鳥美人)は、日傘(天蓋)をさし、さあ、「ご一緒に外ヘ」、と言わんばかりで、あたかも被葬者を誘(いざな)っているようにも思える。その天蓋の裏側には星宿図が描かれている。
  • なお、来村先生は、自身の著書の中で、「(高松塚古墳の壁画は)いわば女性たちが左右から歩みより、被葬者に一声かけて外出するような構図である。殿方がお待ちですよ。早く出かけましょう……女性たちの言葉はきっと優しいささやきであったに違いない。」(来村多加史著『高松塚とキトラ  古墳壁画の謎』2008.1.30、講談社)と表現しています。ロマンチックですね。

 

そして、来村先生の結論は、

   「飛鳥人にとっての星空は旅愁をいざなう絵画である」

 

今回の講演は、古墳の被葬者には一切触れませんでしたが、とても面白い内容でした。来村先生は、言葉もはっきりとお話しになるので、説得力がありました。

 

参考

法隆寺のサイト

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仏像 - 金堂 | 聖徳宗総本山 法隆寺

奈良文化財研究所のサイト

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キトラ古墳について

キトラ古墳とは | キトラ古墳壁画体験館 四神の館 キトラ古墳壁画保存管理施設

国営飛鳥歴史公園のサイト

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キトラ古墳について

https://www.asuka-park.go.jp/area/kitora/tumulus/

高松塚古墳について

https://www.asuka-park.go.jp/area/takamatsuzuka/tumulus/

 

ご興味のある方は、来村先生の書籍をどうぞ。

 

キトラ古墳は語る (生活人新書)

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高松塚とキトラ  古墳壁画の謎

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上下する天文―キトラ・高松塚古墳の謎

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