かすかべ時遊帳

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古墳の中で明鏡に囲まれて被葬者は眠る…

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大和文化会・第3回例会(6月8日(土)の聴講報告です。

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会場は、いつもの「銀座ブロッサム・中央会館」 今回は違う角度から。

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演題:「前期古墳の副葬品にあらわれた死生観―黒塚古墳・三角縁神獣鏡を中心に―」

講師:奈良県立橿原考古学研究所 調査部長 岡村孝作先生

講師プロフィール:

ご専門は日本考古学。とくに、装具・埋葬施設の検討を通じた、古墳時代における葬礼の復元的研究。

講演のポイント

「前期古墳の設計思想」について

  • 前期古墳(3世紀末)の古墳の設計思想は、遺体の保存より遺体の保護に重点がおかれていた。
  • 前期古墳の埋葬施設には、竪穴式石室と刳抜式木棺の組み合わせが見られる。
  • 岡村先生が発掘に関わった「下池山古墳」(天理市・3世紀末)では、墓壙は深く、石室(といえるほど広くはなかった)の一番下部に基台があり、その上に粘土で作った棺床、その上に割竹形木棺があったと推定され、上部に粘土被覆があった。
  • 石室の周りには、板石・塊石や大量のバラスが埋め込まれていて、防水と排水に極めて優れていた。 
  • これらのことは、遺体の保存よりも遺体を保護し、遺体が損傷を受けずに長い時間をかけ、徐々に朽ちて土に還るということに重きをおいていたことを示しているのでは。

刳抜式木棺と副葬品の配置にはある特徴が

奈良県天理市柳本町にある前方後円墳、「黒塚古墳(くろつかこふん/くろづかこふん)」を例に。なお、同古墳は、33面の「三角縁神獣鏡」が出土したことで知られています。

  • 黒塚古墳の場合、木棺は長さ6m余の長大な刳抜式木棺。円筒形でまるで巨大なカプセルのよう。
  • 木棺の材質は、約8割が「コウヤマキ」だった。なお、コウヤマキ(高野槇)は悠仁親王殿下のお印。
  • 遺体が納められいたと思われる棺室部分は2.7m、前後に仕切られているような形状。
  • 副葬品は、頭部の周辺に刀・剣と「画紋帯神獣鏡」が一面あった。なお、その他の古墳にも鏡が頭の周りに置かれることが少なくない。 
  • なお、この古墳も例外なく盗掘に遭ったが、中世に発生した地震により侵入する穴が崩れ、辛うじて盗掘を免れ、銅鏡が残ったといわれている。なお、戦国時代に柳本城が築かれたことも盗掘を免れた要因とも。

“遺体を保護する”という思想

  • 遺体保護の思想は、「棺槨」とともに中国起源の思想(死生観)。
  • 古代中国(紀元前1〜2世紀頃)では、直接死体を収納するものを「棺」といい、その棺を置くところを「槨」という、また、槨は壙の中に造られるという埋葬方法が用いられていた。弥生時代の倭人もその思想を受容したのではないか。 
  • 弥生時代後期に中国起源の埋葬施設である木槨とともに伝来、受容され古墳時代前期に受け継がれた、と思われる。
  • 古代中国には、「魂」と「魄」という思想があった。中国において、人間の体内のエネルギーである気を司るのが「魂」、形体を司るのが「魄」と呼ばれていた。 
  • 人間が死ぬと、両者は分離して上下に飛散するとも考えられた。中国の儒教の経書で五経の一つ『礼記(らいき)』郊特牲には、「魂気(こんき)は天に帰し、形魄(けいはく)は地に帰す。」 と書かれている。
  • 前期古墳の設計思想は、考古学的な検討からも「遺体保護の思想」があったと考えても良いのではないか。
  • 弥生墳丘墓から古墳へ。遺体保護の思想から「棺槨」の発展的継承へ。前期古墳の竪穴式石室への変遷。

「三角縁神獣鏡」で遺体を取り囲む

  • 兵庫県権現山古墳51号墳では、「三角縁神獣鏡は被葬者の頭部を囲むように、南側に開くコの字状に配置されて5面出土した」と発掘当時、報告されている。

そして、

  • 黒塚古墳では、出土した33枚の銅鏡は、鏡面を被葬者に向けた形で出土した。中にはあたかも宙に浮いているように鏡面を下に向け、基底から浮いた状態のものも出土した。
  • 黒塚古墳で出土の三角縁神獣鏡は遺体の頭部(上半身)を「照らす」ように鏡が配列されていた。
  • なお、椿井大塚古墳(京都府)をはじめとする類似例の多くでは鏡面を外に向けた、黒塚古墳と逆の向きもある。
  • これらのことから、鏡を使って神霊を召喚する(仙人になる)方法という「神仙思想」の影響が認められるといってよいのではないか。
  • 鏡を木棺に入れることに関し、もちろん威信財としての側面が認められるほか、御霊を邪気から守る(「和御霊」)、荒神となって外に出さない(「荒神魂」)などの諸説があるのも類似した発想といえるかもしれない。

神仙思想

  • 古代、中国には、人の命の永遠であることを神人や仙人に託して希求した「神仙思想」とよばれる思想があった。
  •  不老不死の仙人・神人の住む海上の異界や山中の異境に楽園を見いだし、多くの神仙たちを信仰し、また、神仙にいたるための実践を求めようとした。 道教思想の基礎となり、また、民間の説話・神話の源泉となった。
  • 秦の始皇帝が不老不死の霊薬を求め、東方に派遣したとされる徐福伝説などもその一つなのでしようね。

明鏡の九寸以上なるを用ひ自づから照らし…

中国・晋の時代に書かれた『抱朴子』雜應という書物には、神仙に逢う方法として、一枚の鏡を使う方法と、二枚や四枚の鏡を使う方法があることが書かれています。

『抱朴子』雜應「……或用明鏡九寸以上自照,有所思存,七日七夕則見神仙,或男或女,或老或少,一示之後,心中自知千里之外,方來之事也。明鏡或用一,或用二,謂之日月鏡。或用四,謂之四規鏡。四規者,照之時,前後左右各施一也。用四規所見來神甚多。或縱目,或乘龍駕虎,冠服彩色,不與世同,皆有經圖。……」

現代語訳

あるいは七月七日の夕方に、九寸以上の鏡に自分の顔を映し、思いを凝らすと、神仙の姿が鏡の中に見える。それは男であったり、女であったり、年老いていたり、若かったり、さまざまである。一度それが見えたあと、心中におのずと千里離れた処のこと、将来のことが知られる。鏡は一つあるいは二つを用いる。二つの時は日月鏡とよぶ。四つ用いることもある。これを四規と呼ぶ。四規を用いるには、前後左右に一つずつ置いて自分を照らす。四規をを用いて見ていると、やってくる神々の数数はなはだ多い。ある者は、龍や虎に乗り、衣冠もその色彩も世間のと違っている。それらすべてに説明図がある。

(引用:『抱朴子』内編   葛洪著  本田清訳注  1980.1.10  平凡社・東洋文庫512)
※『抱朴子』(ほうぼくし)は晋の葛洪(283-343)の著。なお、葛洪(かつこう)は、西晋・東晋時代の道教研究家・著述家。

 

岡村先生によると、当時の九寸は約21.9㌢(1尺を約24㌢とした場合)。黒塚古墳出土の三角縁神獣鏡33面の平均面径は22.5㌢だとか。う〜ん。

道教の影響も

中国伝来の神仙思想の影響もあり、古墳の中に「死者の頭部を囲み、照らすように鏡面を死者に向けた形で鏡を置いたのではないか、そして、そのことは、当時の倭人が既に道教の影響を受けていたことを物語っていると言ってよいのでは」というのが、岡村先生のお話の結論(と受け止めました)でした。もちろん諸説あるのでしようが。

 

特に、「神仙思想」には興味が湧きましたので、早速、図書館で調べ、下記の書籍を借りました。

 

それにしても、中国の古典は荒唐無稽な所もありますが、仙人になる方法が書いてあるなんて、う〜ん凄いなぁ。

 

この文章は、主に講演を聴いて、メモしたもので書いています。間違っている箇所もあるかもしれません。お許しください。

 

参考にした書籍:講演の中で紹介があったわけではありませんが。参考までに。

 

抱朴子 (内篇)(東洋文庫512)

抱朴子 (内篇)(東洋文庫512)