かすかべ時遊帳

かすかびあんの時遊で気ままなブログです。

古河は麻久良我の里だった⁉️

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5月25日(日)、5月とは思えないほどの暑さの中、大学(通信制)の学友会(OB会)で茨城県古河市に行ってきました。

古河市は茨城県の最西端にあり、関東地方のほぼ真ん中に位置しています。かすかべからは栗橋駅乗り換えで40分ほどで行くことができます。

いつもは、車で新4号国道バイパスを使うので、古河駅に行くのは久しぶりです。

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JR宇都宮線古河駅西口

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古河史跡案内略図

歴史的な建造物などは、JR宇都宮線の西側、日光街道(日光道中)沿いにほぼ集中しています。

古河は許我と

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説明板「万葉古河の歌について」(平成二十年一月設置)

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万葉歌碑(万葉集巻14-3558)

逢わ須して 

行かば惜しけむ

麻久良我能

許我漕ぐ船に

君も逢わぬ可も

建立 昭和六十年(1985)四月 揮毫 書家 大久保翠洞氏(古河出身の篆刻家)  

歌の意は、説明板では、

あなたと逢わずに行ってしまったら心残りだろう まくらがの古河を漕ぐ渡し舟であなたにお逢いできないものかなあ

※まくらが=『許我』にかかる枕詞。

と読み人知らずですが、男性が詠んだ歌のようになっています。

一方で、

逢うこともなくあなたが行ってしまったら 残念なことだろう。麻久良我の許我の渡しを漕ぐ舟の中ででも、あなたに出逢わないものかなあ。

と、旅立つ男への思いを歌う。偶然の出逢いを願っているから、通常の妻や恋人ではない。遊女とする説もある。(『万葉集全解 5』多田一臣訳註 筑摩書房)
と女性側からの切なささえ感じさせる解釈もあります。

なお、原文(前掲書)は、

安波受之弖 由加婆乎思家牟

麻久良我能 許賀己具布祢尓

伎美毛安波奴可毛

男歌なのか女歌なのか、研究者によって異なることがわかりました。とても面白いですね。

万葉の時代、古河は「許我(こが)」と表記され、渡良瀬川が利根川と合流するところに位置し、渡し場があるなど、当時としては河川交通の要所だったようです。

また、説明板には、許我を詠んだ歌が万葉集に二首あることが書かれています。

もう一首は、万葉集 巻14-3555の、

まくらがの許我の渡りの

からかじの音高しもな 

寝なへ児ゆえに

歌の意は、

まくらがの古河の渡りの

からかじの音が高いように

高い噂が立ったなあ 

あの子と共寝したわけではないのに 

この歌は明らかに男性の歌ですね。

原文(前掲書)は、

麻久良我乃 許我能和多利乃

可良加治乃 於登太可思母奈

宿莫敝兒由恵尓

※韓楫=大陸(半島製)の新方式の楫(櫂とも。舟をこぎ進める道具)。漕ぐときに大きい音がしたようです。

なお、この歌の歌碑は、古河市宮前町雀神社内西側の渡良瀬川遊水地堤防に建っています。同じ説明板も設置されています。今日は団体行動なので、行けませんが、いずれ機会があれば行ってみたいと思います。

 【万葉古河の歌碑】

民謡のように

また、古河駅前の説明板には

この二つの歌は、おそらく民謡のように語り歌い継がれていたものであろう。

とも書いてあります。

「民謡」のように語り歌いということから、ふと「歌垣」のことを思い浮かべました。

歌垣(うたがき)とは、特定の日時に若い男女が神の住む山に集まり、人垣を作って相互に即興の求愛の歌謡を掛け合う習俗で、今でも、主に中国南部、ベトナムなどインドシナ半島北部の山岳地帯に風習として残っているそうです。

以前、中国の苗族(ミャオ族)の男女が丘の上に集まり、合唱している様子の映像を視た記憶があります(大学の授業だったか講演だったか定かではありません、忘れました)。

我が国でも筑波山などで盛んに行なわれた、と『常陸国風土記』には記されています。

歌垣は、「嬥歌会(かがひ)」ともいわれ、春秋の一定の日に若い男女が集まり、飲食をして歌を掛け合い踊り、相手を得て楽しみ遊ぶ民俗行事でした。

『常陸風土記』香島郡童子女(うなゐ)の松原の条に「歌嬥(うたがき)の会(つどい)、俗(くにひと)宇太我岐(うたがき)といひ、又、加我毗(かがひ)という」と記されています。

「手を携え連なり、食べ物や飲み物を持って騎馬や徒歩で登山し、遊び楽しむ。」。万葉の時代のいわば合コンだったのでしょう。

そこでは、多くの歌が民謡のように節をつけて歌われていたのかもしれません。

当時、古河は下総国だったので常陸国の筑波とは国が違うのですが、距離的には近いのでこんな妄想が頭をよぎりました。

麻久良我は地名?

また、「まくらが」は枕詞と説明されていますが、地名だったという説もあります。

万葉集 巻14-3449、には、

白栲の 衣の袖を

麻久良我よ

海人漕ぎ来見ゆ波立つなゆめ

という歌があります。

意味は、

白栲の衣の袖を枕にする

その麻久良我から海人が

舟を漕いで来るのが見える

波よ  決して立つな  けっして 

原文は

思路多倍乃 許呂母能素弖乎

麻久良我欲

安麻許伎久見由 奈美多都奈由米

(『万葉集全解 5』多田一臣訳註 筑摩書房)

この歌には「許我」の文字はありませんが、麻久良我は古河辺りの地名だったのでないかという説があります。川の漁撈民も海人というそうです。当時の人には利根川や渡良瀬川は川幅が広くて海のように見えていたのかもしれません。

「許我」の文字が入っていないので、歌碑にはならなかったのでしょうね。

 万葉集を持って

ところで、先の大戦時、岩波文庫の万葉集を背嚢に忍ばせる兵士が少なくなかったそうです。

今年2月に亡くなった日本文学者のドナルド・キーン氏は、戦時中、日本人捕虜の所持品を検査する任務についていたそうですが、「文庫本が入った大きな箱がありました。いろんな本が入っていましたが、驚いたことに、一番多かったのが万葉集でした。万葉集をずっと愛読してきた人が、出征するときも、どうしてもそれを持って行きたかったのでしょう。」と述べていたとのことです(『NHK日めくり万葉集』)。(出典:佐竹昭広 他校注『万葉集(四)』岩波文庫)。

また、万葉集は、令和改元や先月来日したトランプ米国大統領の宮中晩餐会での挨拶など、何かと注目されていますが、今回、古河に来て、改めて万葉集に触れ、その魅力を実感しました。

道の駅『まくらがの里こが』

新4号国道バイパスに「まくらがの里こが」という道の駅があります。年に数回ですが、バイパスを通るときは必ずといっていいほど立ち寄ります。恥ずかしながら、今まで「道の駅」の名前に全く気にもとめませんでした。今回、万葉歌碑を読み、「麻久良我だった」ことがわかりました。今度行った時は、駅名を噛みしめてこようと思います。

 

【道の駅  まくらがの里こが】

 

結局、古河駅で下車し、駅前の万葉歌碑の前から一歩も歩かないままこの文章を書いてしまいました(笑)。

 

せっかく古河に来たので、続きを… 

 

と、その前に、乗換え駅の改札口前にあった彫刻を

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暗くて良く見えませんでしたが、日本を代表する彫刻家の一人、佐藤忠良の作品でした。佐藤忠良は女優の佐藤オリエさんの父上です。東日本大震災のあった平成23年3月30日に99歳でお亡くなりになりました。

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余談ですが、佐藤忠良の彫刻は、我が"かすかべ"の古利根公園橋にも「ジーンズ・夏」と題する彫刻があります。なお、愛知県碧南市にも全く同じ彫刻があります。

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佐藤忠良作「ジーンズ・夏」(春日部市の古利根公園橋上)

 

では、次回…