かすかべ時遊帳

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古い話で恐縮ですが、「當麻曼荼羅」拝観のこと

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5月18日(土)の大和文化会(第2回例会)で當麻曼荼羅のことを聴き、以前、當麻曼荼羅を拝観したことを思い出しました。 
と言うことで、今回はこの話題。

徳融寺

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 古い話で恐縮ですが、7年前(2012年)の冬、当時在籍していた大学(通信制)のスクーリングで奈良市の「徳融寺」というお寺を見学した際、「當麻曼荼羅」を拝観しました。画質が今一ですが、ご容赦ください。

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徳融寺略案内

 当寺はもと南都七大寺の一、元興寺の境内にあり、観音堂とも別時念仏の道場であったとも伝えている。室町時代元興寺土一揆(いっき)で罹災したため、本尊を現在地に移し、天正十ハ年(一五九〇)融通念仏の檀家寺院として復活した。

〜中略〜

 当寺は平城京の外京、六坊大路にあたり、藤原不比等の孫、右大臣横はぎ豊成の宅跡とされる。折口信夫の小説「死者の書」で知られた娘中将姫は当地で育ち、少女時代継母にいじめられた。「虚空塚」「雪責松」など受難のあとが随所に残されている。

 観音堂裏に父子の石塔(鎌倉時代)がある。戦国の世、梟雄松永弾正久秀が多聞城の石垣を築くため、近郊の石塔を徴発した。右の石塔にも徴発の寺が及んだので、当寺の一代で連歌師の心前上人が

  曳残す  花や秋咲く 石の竹

と吟み、危うく難を逃れたと云う。

 〜以下略〜

参考までに、こちらのサイトもご覧ください。

↓↓

徳融寺 | 奈良観光JP   

當麻曼荼羅の拝観 

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 「當麻曼荼羅」(許可を得て撮影しました)

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拡大すると

當麻曼荼羅の図様は、

當麻曼荼羅は、『観無量寿経』を絵解きする変相図である。その画面構成は、中央に阿弥陀浄土図と、左右と下辺を囲む帯から構成されている。

向かって左側の帯には阿闍世の母・韋提希(いだいけ)夫人が釈迦に極楽浄土への往生を願う物語(序分義)、向かって右側の帯には極楽浄土と阿弥陀如来をみるための段階的な十三の方法(十三観・定善義)、下辺の帯には生前の行いによって分かれる九種の極楽浄土への往生(九品往生(くぼんおうじよう)・散善義)と織付縁起文が表される。なお、拡大のものでは、下辺は見ることができません。 

いずれにしても、観無量寿経の世界が描かれていますので、俗人としてはこれくらいで…

なお、先の「徳融寺略案内」によると、この「當麻曼荼羅」は貞亨元甲子年(1684)の転写本(第三転本?)とのこと。  

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徳融寺案内板 

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豊成公中将姫父子の石塔

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石塔の案内板

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中将姫石塔

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石塔側面に歌舞伎役者の片岡仁左衛門の名前が。

   

【徳融寺】  

 

 

折口信夫著『死者の書』(Kindle版)

死者の書 (角川ソフィア文庫)

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