かすかべ時遊帳

かすかびあんの時遊で気ままなブログです。

花のバトンは桜から藤ヘ!牛島の藤はこれからが見頃を迎えます‼

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桜が終わり、これからはかすかべの市の花「藤」の季節です。

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「春日部・藤棚をくぐるルート」の案内板。⑦が牛島の藤。

そして、藤といえば、やはり国の天然記念物「牛島の藤」ですね。

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春日部情報発信館「ぷらっとかすかべ」にて撮影(許可を得て撮影)

藤の見頃はこれからなので、開花状況などは、「藤花園」さんのホームページをご覧ください。こちらの方が画像も綺麗です。但し、PC向けサイトです。スマートフォン専用サイトはないようです。

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藤花園 ~牛島の藤~

この「藤花園」(とうかえん)、もともとは、「蓮花院」(れんげいん)という真言宗のお寺でしたが、廃仏毀釈の影響?で明治7年に廃寺となり、その後、何人かの個人の方が所有、現在は所有する小島家の有限会社藤花園さんにより管理・公開されています。

郷土史家の須賀芳郎氏によれば、

この藤は「野田フジ」の一種で花房は、2㍍ほどの長さになります。 

樹齢は1200年以上で、伝説では弘法大師のお手植えともいわれています。

昭和30年、国の特別天然記念物に指定された「藤花園」は、蓮花院跡と伝えられており、藤の所有は蓮花院(廃寺)から田中源太郎氏、藤岡氏へと移り、現在は小島すい子氏が管理しています。

明治33年5月発行の「粕壁藤の紫し折おり」に、大和田建樹が「牛島の藤」と題し、紀行文を寄せていますが、その一節に「藤は一つの幹より枝さしひろがり、長さ18間、幅5間の棚にぞ作られたる。それより幾千幾ともなき花房氷柱の如く滝波の如くしな垂れて。下いく少女の顔に映つしあいたるさますべていふべくもあらず。桜は吉野といへど。梅は月瀬といへど藤の名所はまだ知らぬを、あにおもはんや帝都を去る十里の地にして此見ものあらんとは花房の長さ去年に劣れりといえど。なお4尺はあるべし、300 年来の木なりというも遠くはたがはじとぞ思う。と讃美しています。

詩人三好達治の詩集の中にも「牛島古藤歌」があり、その一節にも

ゆく春のなかき花ふさ

花のいろ揺れもうごかず

古利根の水になく鳥行々子啼きやま

メートルまりの花の丈

匂ひかがよう遅き日の

つもりて遠き昔さへ

何をうしじま千とせ藤

はんなり、はんなり

とあります。

昭和初期の長谷川零余子は、
 人の世の いさかいは知らず 藤の花
 人の目に 藤たれて虻の うなりかな
と牛島の藤を詠んでいます。

(引用:ふるさと春日部『かすかべの歴史余話』須賀芳郎/著 1977年~)

なお、現在の園長は小島喜久雄氏。

※大和田建樹(おおわだ たけき)=『鉄道唱歌』『故郷の空』などで知られる明治期の詩人、作詞家、国文学者。

※三好達治(みよし たつじ)=昭和期における古典派の代表な詩人、翻訳家、文芸評論家。

※長谷川零余子(はせがわ れいよし)=明治から昭和初期にかけて活躍した日本の俳人。

なお、「はんなり」とは、上品ではなやかなさまを表現する言葉。

以前、「野田フジの一種」とあったので、そそっかしい私は、てっきり野田市(千葉県)が原産なのかぁ!なんて呑気に感心していましたが、そうではなく、 

どうやら、

大阪市福島区野田はノダフジ(野田藤)と呼ばれる藤の名所で、牧野富太郎による命名のきっかけとなった。同区玉川の春日神社には、野田の藤跡碑がある。

引用:(『フリー百科事典 ウイキペディア日本語版』最終更新 2019年4月1日 (月) 23:32   UTC、URL:https://ja.wikipedia.org/

のようです。 

一方、「野田藤」の原産地は、はっきりしないとも言われています。ようはわからないということですね。

※牧野富太郎(まきのと みたろう)=「日本の植物学の父」と言われた著名な植物学者。

いずれにしても野田市(千葉県)ではないことだけは確かなようです。

なお、藤花園さん開園(藤の公開)は、長年受け継いだ藤を守るため、4月から5月の開花時期だけです。

以前、園長の小島さんに伺ったところ、国の天然記念物の藤を守るため、肥料には、酒粕などを与えているそうです。そして、藤の開花には冬と夏の気温差も大いに関係しているとのこと。冬が暖かくても、夏が涼しすぎても花は綺麗には咲かないそうです。

藤は、とても繊細な花のようです。今年はどうなのでしょうか。

なお、藤の花の香りを感じられるのは、日差しが強い日中より、朝早くか夕方がおすすめとのこと。また、最近、外国の方も増えているそうです。

 

最後に、牛島の地名について、 

ウシジマはウチ(内)ジマの意とみられ、シマには「川添いの耕地」「村」などの意がある。おそらく川荒れによりおこった地名。(「埼玉県地名誌」)。

また、小野文雄氏(春日部市史監修者)は自身の著書「埼玉県の歴史」の中で「國府への道(古道)は、武蔵國は東山道に属しており東山道から國府までの五駅の一つである浮島の駅(うまや)の地で、後に牛島と変化したのではないか」と述べています。

 

では、また 

 

最後までお読み頂きありがとうございました。